生月島のキリシタン殉教地、と由来です。
焼山 |
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1561年、ルイス、アルメーダ(伝道士)がこの地に教会を建て、そこに診療所も作り、またセミナリヨ(小神学校)もあったと伝えられています。 教会の大きさは600人の信者が座して祈られる大きさであったと言われています。 バテレン追放令ののち徳川幕府になって焼かれたことから、焼山と呼ばれています。 |
ガスパル様 |
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ガスパル西玄可(にし げんか)の殉教地である、別名「黒瀬の辻のガスパル様」とも呼ばれています。 この丘の上に、海上より見える大きな十字架が立っていたところから、 クロス(十字架)の辻が なまったものではないかと思われます。 一部氏、籠手田氏亡き後家老であった、西玄可は残されたキリシタンの指導者でありました。 しかし、1609年11月この丘にて処刑されました。 1987年(昭和62年10月18日)ローマ法王により、聖人の位に就いた聖トマス西神父は 西玄可の息子です。中江の島を望むクロスの辻の殉教地は島民の厚い信仰を物語るようです。 |
だんじく様 |
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弾圧を逃れてだんじく(暖竹)が生い茂っていた場所に隠れていたが、子供が海岸に遊びに出たところを、海上から役人に発見され一家が殺害されました。
弥市兵衛、マリア夫妻、その子ジョアンの殉教地です。海から来ると楽だが、陸上からだと50m程の断崖を降りる、厳しい坂です。
島民は1月16日の命日はその崖を降りて祈りをささげています。 |
中江の島 |
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(サンジュワン様)1622年ジュワン次郎右衛門、ダミアン出口、ジュアン坂本、ジョアキム川久保らがこの島で殉教しました。 隠れキリシタンの信者はここを聖地として尊び、この島から採集した水は「洗礼の水」、「家払い」「すべての清めの水」として使われています。
「ここから天国はそう遠くない」そう祈って昇天したと伝えられています。 ※2018年世界遺産に登録されました。 |
生月自動車有限会社 〒859-5703 長崎県平戸市生月町里免657-3 |
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